昨日、「ボールのドリブル(ボールを突く運動)とボウイングとはとても似ている」という記事の中で、弓竿の腰の弱い性能の低い弓を使うことによって、「バタバタした演奏になる」という事を書きました。

 弓の性能が低いと圧力が掛けられないので、原理的に指板寄りを弓の速度を速くして演奏してしまうのです。これは技術の問題ではなくて、物理的原理の問題です。だから演奏がバタバタしてしまうのです。特に、難しいパッセージだとか、高難度な演奏部分において、弾こうという意識が弓の速度を増幅させて、さらにバタバタ感が増大します。

 さらに、これの「移弦」という動作が加わると、そのバタバタさは際立ちます。

 というのは、移弦運動は駒に近いほど理想的で小さな弓の角度移動だけで音を出す事が出来るからです(発音のしやすさなどは、また別の話になります)。

 例えば駒の近くを弾くと、弦の沈み込みはほとんど起きないので、移弦において弓の移動は最低限で済みます。

 ところが指板の上側での移弦では、弦の沈み込み量が大きくて(特にハイポジションを押さえたとき)、さらに弾力があるために、移弦の角度がどうしても大きくなりがちなのです。特に1番弦と4番弦への移弦の弓の角度はとても大きくなって、外から見ていてもバタバタ感が出てしまうのです。

 これらの演奏の違いが、その原因が弓の性能にあるということを気づいている演奏者は、私はとても少ないと感じています。これは演奏者批判では無くて、日本の演奏教育が弦楽器演奏における科学的な考察を軽視しているからだと実感しています。それは弦楽器技術者においても全く同じです。例えば私のような考え方の弦楽器技術者はとても異端なくらい少数派(会ったことがないくらい)だからです。

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