先日のカントゥーシャ作のヴィオラもそうですが、私の工房にてお売りしたヴィオラを使っていらっしゃる方から、「『まるでチェロのよう』と聴いていらっしゃる方から褒められる」との感想を頂くことがあります。
私は「そうでしょう! 私が選んだヴィオラの音はその辺のヴィオラとは違うのですよ」みたいな感じで、会話したりしていました。
ところがふと思いました。「チェロみたい」とは何だろう?、と。
音域的な意味では、低音が他のヴィオラよりも特別出ているわけではないので、音量の意味での豊かな量感なのか?
一般的なヴィオラの特徴って、音が出ていないのです。鼻が詰まったような感じの音が多いのです。だからそのような特徴こそがヴィオラの音だと思っている人は、素直な発音でしかも音量の豊かなヴィオラの音を「チェロのよう」と感じるのかもしれません。
補足になりますが、一般的に鳴らない楽器(殆どの方はそれに気づいていませんが)の場合、所有者は弦を振動させようと頑張っているのです。しかしそのような楽器は、演奏者の気持ちとはうらはらに、音は意外と出ていないのです。
一方、良い楽器の場合には響板を素直にドライブできます。この様な楽器の場合には、演奏者が思っている以上に量感があるので、そのような量感を「チェロみたい」と感じるのかもしれません。
ヴィオラって、追求すればするほどに難しいです。考えすぎると「私は誰?ヴィオラって何?」て、自問自答の無限ループにはまってしまいますから。
追記:良いチェロを、「まるでコントラバスのよう」と褒められる事って、あまり無いと思うのです。ちなみにコントラバスの音も、ヴィオラと同じ傾向で、鼻が詰まったような音色が多いです。
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