私は将棋の事は全然詳しくはないのですが、時々、Abemaで藤井聡太氏のタイトル戦を観ます。それは弦楽器の演奏と共通する部分を感じるので、引き込まれるからです。

 頂点を極めた棋士同士の対局を、YouTubeで解説している動画も数多く存在します。それらを観るのも面白いです。「神の一手」とか「AI越え・・・」とか「歴史に残る対局」、「芸術的な」とか。

 私のような素人には何が凄いのか判らないのですが、将棋の上段者達にとっては、うなるような凄い対局なのでしょう。

 これって、まさに弦楽器の演奏と同じなのです。

 将棋の対局って、対局している本人達は「最善と思える一手」を指しているだけなのです。別に「表現」しているわけでは無いし、まして「芸術」とは思っていないことでしょう。

 ところが、それを観戦している将棋の上段者(高度な人達)からすると、まさに「芸術的」とも「神の一手」とさえも感じるのです。

 

 これは演奏の本質も全く同じです。

 演奏とは芸術ではないのです。芸術とは聴いた聴衆が、自分が受けて生まれた生理的現象を、自分の価値観によって作り出す虚像なのです。すなわち真の芸術家とは、聴衆なのです。

 それでは演奏者とは何をしている人なのかというと、「高度な実行者(技術者)」であるべきなのです。これを勘違いすると、「私はアーティスト・・」と、まるで新興宗教の教祖様みたいな事を言い出すのです。

 技術者にとって一番重要なのは、「理」であり、「理にかなった科学的行動」なのです。

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