大阪のあるストリートピアノ(誰でも自由に弾ける設置ピアノ)に苦情が多く寄せられて、設置者が「練習は家でしてください」みたいなコメントをしたら大炎上したという話題がありました。
この炎上に関して、多くの議論が見当違い勘違いのところで白熱しているのです。
「上手な人しか弾いてはいけないのか?」とか「演奏の自由」に関してとかです。
しかし問題なのはそれ以前の「騒音」に関してなのです。そもそも、ストリートピアノを安易に設置してはいけないのです。
以前から私が、「日本は騒音意識が低すぎる」と苦言を書いています。しかし、店内外BGMとか、駅構内警告アナウンス(音)とか、一向に改善する雰囲気はありません。
今回のストリートピアノに関しても、設置者が「音楽ならば音を出してもOK」と、勝手な論理でピアノを設置したのです。しかし、結果は苦情が多かったわけです。
その苦情が、「演奏の上手、下手」と議論がねじ曲げられてしまったのです。
そもそも公衆の中で、大きな音を出すこと自体が、安易に行われるべき行為ではないのです。危険性がある行為なのです。それは例えば上手な演奏であってもです。
これは「喫煙」とも同じです。「喫煙の権利」があるのと同時に「排煙処理の義務」が生じます。だから最近では「禁煙」となるのです。これは喫煙の禁止を言っているのではなくて、排煙の問題なのです。
同じ事は音に関しても言えます。
演奏活動とは、演奏技術の上手下手で分別されるのではなくて、社会的な受容体制の中で、上手に付き合っていかなければ、悪として攻撃されてしまいます。
私が店内BGMに苦言を言っているのも、何も音楽に関してではないのです。「音」は受け取る人によっては「タバコの煙」と同じくらい、攻撃性があるという自覚が必要なのです。