「弟子の募集」で、「お金がかかる」とか「修行期間がかかる」とか「厳しい」とか、色々書いています。それはチャラチャラした気軽な気持ちで来ないで欲しいという意味が半分、そして残りの半分は「いい加減な気持ちで弟子を受けるわけではありませんよ」という意思表示でもあるのです。
ところがそれをなかなか理解してもらえません。「なぜそんなにお金がかかるの?もっと安くならないのですか?」とか、中には「もう少しまけてもらえませんか?」とかいう勘違い甚だしいものもの・・。 「ヴァイオリン製作を勉強するのに、なぜパソコンやカメラの勉強が必要なの?」とか・・・。
もしも、ヴァイオリン技術者として人の下で雇用されるだけでしたら、正直なところ「最低限の製作の技術と修理の技術」だけを学べばそこそこはやっていけます。しかし、独立するとか、起業するとか、または人が今までやらなかったような、新たな研究、開発、営業、出版、等々・・を行うためには、たくさんの内容を学ぶ必要があります。
自営業主とは、「技術者」であるだけななく「社長」でなくてもならないのです。それどころか「営業部長」でも「企画主任」でも「宣伝担当」でなくてもならないのです。そのための勉強のためです。
例えば一番身近で分かりやすい話ですが、「作業工程の写真を撮って、それを加工して利用する」とします。やろうと思えばコンパクトデジカメで撮影して、おまけのフォトレタッチソフトでちょっとした加工をすればOKです。しかし、そんなことをしていては「それ以上のもの」には繋がりません。また、それ以上の方法を勉強できないのです。
だから無理をしてでも、本格的な一眼レフデジカメとAdobe Photoshopを購入して、本格的な映像処理技術を若いうちに習得していくのです。これは将来出版社、印刷会社などとやり取りをするときに、とても重要になってくるのです。
またそのような「高品質の追求」の作業によって、弦楽器の技術に於ける「高品質への感性」も磨かれるのです。
もしも私が弟子の将来を適当にしか考えていないのでしたら、「もっと安く・・」もできるのですが・・・。
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