私は、私のホームページ上や、工房にいらっしゃるお客様に、「理」にかなった運動モデル、演奏運動理論を説明します。
ところが、なかなか理解してもらえません。私のホームページやブログを読んでいる方が理解できていないというのは、当然の事です。何度も書きますが、ネット上の検索で、自分の価値観を超えるものを得る事は原理的に不可能だからです。
ネットで私の情報をつまみ食いだけしている方の話しはどうでも良いのですが、私の工房にらして、私の事を信頼してくださって、そして私の勧める弓や楽器を購入してくださった方でさえも、なかなか本当の所までは理解してもらえていないのです。
ちなみに、なぜ「本当の所まで理解してもらえていない」と判るのか?というと、そのお客様のボウイングの運動の変化(理にかなった運動という意味で)が、あるところから良くならないからです。これは、お客様の意識のどこかに私説明するところの「理」を阻害する感覚があるからなのです。
もちろん、お客様の運動神経だとか、理解力だとか、演奏の価値観の違いとか、所有している楽器や弓の性能とか、様々な要因の違いがあるという前提での話しです。なにも、ロボットのように、同じ演奏スタイルを勧めているわけではありませんので、その点は誤解の無いようお願い致します。
運動(演奏)の「理」という意味での話しです。
さて、私は常々「なぜ、こんなシンプルな考え方が理解してもらえないのだろうか?」と不思議に思っていました。ところが先日、私の工房のお客様と焼き鳥屋で飲み会を催したときに、「なるほど」と思ったのです。
その「焼き鳥会」では、気軽な雑談ばかりを和気藹々と話しました。私も工房で説明するような話しはしません(酒を飲みながらは話せません)。皆、楽しく自由な雑談で盛り上がりました。
その時、感じたのですが、お客様は皆、好きな曲とか、好きな演奏者とか、理想の音とかの「こだわり」を持っている事です。別な言い方をすると、「あの演奏家は好きではない」とか、「好き」とか「嫌い」とか、そういう当たり前の価値判断が基準となっているのです。それは当然と言えば当然の見方、考え方です。
一方、私の場合には、演奏家を人としては見ていないのです。演奏をする「運動モデル」として見ているのです。だから好きとか、嫌いとかでは全く見ていないのです。ある意味、職業病と言ってもよいくらい不自然な見方です(さらにこの業界の中でも異端だと思います)。
だから私が、「この演奏家のこのボウイングのこの部分が理想的」と勧めても、お客様からすると「え~っ、あの演奏家はあんまり好きじゃないなあ」と、無意識の中で拒絶してしまうのです。私が勧めた部分は、「運動理論」の話しなのですが、「演奏者」とか「曲」とかの話になってしまっているわけです。
このように、他人に説明するという事は、とても難しい事なのです。それを行うための、説得力、説明力、信頼性、論理性、等々、私側も日々努力と研究が必要です。先は果てしなく遠いです。ただ、私は「あそこの電柱まで」は頑張って走るつもりです。
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