一見、「ヴァイオリン」と「俳句」の共通点は全くないように思われるかも知れませんが、とても重要な共通点があるのです。それは何かと言いますと、「制限(しばり)」なのです。
例えば、「『ヴァイオリン』の目的は何か?」ということを追求していくと、「良い音」に行き当たります。それでは「良い音」とは何かということを追求していくと、「ヴァイオリンという楽器の制限の中でもがく(追求する)こと」にたどり着くのです。
同じ事は「俳句」にも言えます。俳句とは、表現することです。しかし、表現できれば何でも良いのか?というと、そうではありません。その表現方法の中に、あえて五・七・五という制限を設けることで、より魅力を高めているのです。
これらは、人間という知的生物所以の、高等な遊びなのです。
すなわち、ヴァイオリンという楽器には様々な制限が必要なのです。その中で、まるで俳句を楽しむように、もがいたり、試行錯誤したり、喜びを発見したりする行為なわけです(注:ヴァイオリンも誕生したばかりの頃には、そのような制限とか縛りとか規則とかはありませんでした)。
例えば皆さんも子どもの頃、「横断歩道の白線の上だけを歩く」とか「日陰の部分だけを歩いてよい」とかの制限をあえて作って、その制限の中で楽しんだ経験があると思います。それと同じなのです。高等生物だからこそ、そのような制限を克服した時に、大きな喜びを感じるのです。
昨日、あるメーカーの方がカーボン繊維で造られたヴァイオリンを見せにやって来ました。しかし、その音、明らかにヴァイオリンの音ではないのです。そこで私は、「この楽器で何が行いたいのですか?」と質問しても、本質的な答えはありませんでした。
本物のヴァイオリン以外で、ヴァイオリンの代わりになるものは無いのです。だから、皆さんもお金は多少掛かるかも知れませんが「本物」を求めてください。
補足1
・ヴァイオリンの音をはるかに越える楽器を、ヴァイオリンと言うでしょうか?
・ヴァイオリンの音以上の良い音のシンセサイザーが開発されたとしたら、それでコンサートを聴くでしょうか?
・良い音(または上手な演奏)であれば、コンサートで、録音した音の再生でも良いでしょうか?
補足2
それではそのような制限(規則)を重んじるヴァイオリンという楽器に進歩(進化)は無いのか?というと、これも俳句と同じであるのです。急激(極端)な変化は受け入れられませんが、徐々に、長い年月をかけて、使用している人の価値観の許容範囲での(小さな)変化は常にあります。これが進化なのです。
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