「ここほろぎ われの時間の 夕刊こゆ」

 この俳句は、小学校の教員で、女手一つで私と姉を育てていた母が、朝日新聞の投稿俳句で一等をとったときの句です。当時小学生低学年で、俳句には全く興味が無かった私でさえも、珍しく大喜びしている母の姿が目に焼き付き、その俳句さえも暗記してしまうくらいの大事件だったのです。

 漢字、仮名づかいまでははっきりとは覚えていませんでしたが、「ここほろぎ われの時間の 夕刊こゆ」という、その俳句の意味は教えてもらいました。
 子どもを寝かせた後のほんの一時の新聞を眺める「母の時間」、その新聞の上を子コオロギが渡っていったという内容らしいです。

 その母も、今はすっかり衰えてしまい、私(と姉)の介護を必要とするようになってしまいました。母の世話に追われ、疲れ、そして夜の最後の世話が終わって、ようやく自分の時間を迎えたとき、いつもこの句を思い浮かべます。

 ああ、私もこうして育てられて、大きくなったのだと。

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