昨日、春から音大に入学される方がヴァイオリンの試奏に親子でいらっしゃいました。それで楽器本体の方ではなく、いつものように弓の話になりました。
それでちょっと説明をして良い弓でボウイングさせたところ、演奏が激変しました。それまでのボウイングでの悩みだったことも、一瞬で解決しました。その子も、「なるほど、そういうことか・・」と納得していたようです。
多くの方は、「練習以外の近道は無し」と思っているようです。しかし、それは間違いです。例えば、数学の問題を解くときに、いきなり無謀な計算を始めたとしても、まぐれでも答えにはたどり着きません。しかし、ほんの少しだけ「公式」を教わっただけで、一瞬で問題が解決できたりするものなのです。
「理」を勘違いした努力は、それは努力とは言わずに「無駄」でしかないのです。
無駄な遠回りをする必要はありません。「理」こそが重要なのです。これは理論についてだけでは無く、変な楽器や弓を購入してしまわない(全ての人は、良い物と思って購入しているにもかかわらず)ためでもあるのです。
そうは言っても、結局、楽器も弓も「検討します」で終わってしまいましたが・・。いつもそんなのばっかりです。
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