私はこれまで何度も、演奏(音楽)界も、「スポーツ界を見習うべき」と主張してきました。しなし、なかなかこの考え方は受け入れられません。それどころか、排除(軽蔑?)さえされている雰囲気です。
愚痴は置いといて、スポーツ選手の言葉には、演奏におけるヒントがたくさん含まれているので、私はその手の番組(スポーツ解説だとか、スポーツ選手のドキュメンタリー番組とか)を興味深く真剣に見ます。
特に勉強になるのは、現役引退した一流選手の言葉や、考え方、そして「後悔」の言葉です。
一方、現役の一流選手の言葉は、それほど役に立ちません。なぜならば、現役の選手は、まさに「主観的(または感覚論)」になってしまっていて、視野が狭いからなのです。もちろん、一流選手は様々なコーチなどから、客観的なアドバイスを受けています。しかし、そこは人間、あくまでも「主観的」になってしまっているのです。または、若さ故の、単なる知識不足でもあるのです。
ところが、現役を引退した(一流)選手には、客観性があります。さらに経験(後悔も含めた)もあります。だから、言葉に「理」を感じるのです。
これは演奏家の考え方とも重なります。演奏家とは、演奏家故に、自分(演奏)が見えなくなるのものなのです。スポーツ界で言うところの、現役選手と同じです。意外なほど、自分が見えなくなるのです。
よって私は、他人(技術者)にアドバイスを求めることを勧めているのですが。若い演奏者達は技術者のことはあまり信用していないので、結局は先生(=演奏者)に全信頼をもってしまうのです。
もちろん、演奏の先生を信頼するのは良いことであり、素晴らしい事なのですが、しかし演奏の先生も知っていることは半分(いわゆる演奏のことだけ)しかないということを理解しなければなりません。楽器のことはわかっていないのです。
だから「演奏の先生と同じくらい信頼できる技術者(または楽器店)を見つけて、そして末永く付き合っていくこと」が重要で、さらにその人(技術者)達から先生とは違った、アドバイスをもらい、自分を成長させることが重要なのです。
以上、まったくスポーツ界の常識を語ったにすぎません。
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