私はこれまでに何度も、「引退した一流スポーツ選手の話は、弦楽器においてもとても役に立つ」と主張してきました。

 私はスポーツと演奏とは、同じものであると捉えています。さらに、引退した一流選手は、ただでさえ能力が高いのに、引退したことによってより客観性が高まり、現役の時よりも理論の構築が進んでいるからです。

 落合氏はもともと理論派ではありますが、その言葉の端々から、弦楽器演奏におけるヒントがこぼれ落ちるのです。「この人、本当は、弦楽器演奏の事を話しているのではないのか?」と勘違いしてしまいそうなくらいです。

 一方の西武の山川選手も一流選手です。しかし、山川氏は現役選手が故に、結果に直接結びつくような特効薬が欲しいのが見え見えです。落合氏が総合的な論理構築の考え方をしているとしたら、山川氏の考え方はもっと端的に感じました。もちろんそれは、現役選手なら当然でしょう。

 一例ですが、山川選手が落合氏にこういう質問をしました。「落合さんはバットを力を抜いて軽く振っているようですが・・・」。

 そうしたら、落合したすかさずこう言い返しました。「バカ言ってるんじゃないよ。バットは思いっきり振らないとボールは飛ばないよ。俺だって思いっきり振っているんだよ!」、と。

 ただ、その後にこう付け加えました。「正しい振り方をしていると、強く振っているようには見えない」、と。

 これと似たことはスキージャンプの船木氏が、「理想的なジャンプは、カンテ上で飛び上がるのではなくて、ジャンプ台の反作用を利用して、自然に落ちていくイメージ」、というような事を言っていました。力んで飛び上がるのは良くないのだそうです。

 これはボウイングにも当てはまります。理にかなったボウイング運動は、自然に見えるのです。例えばとても大きな圧力をかけているのにもかかわらず、まるで圧力をかけていないように見えるのです。

 この運動の真の意味が判らずに、表面的なとらえ方をしてしまうと、「圧力は悪だ」くらいにとんでもない勘違いをしてしまうのです。

 落合氏のバッティングは、強く振っているのに、周りで見ていると軽く振っているように見えるのです。これは筋肉に無駄なに力みが無く、運動の連続性があるからなのです。ボウイングにおいても全く同じです。

 「力を抜く」という表現は、「力をゼロにする」という意味ではなくて、「筋肉が硬直していない状態」の意味なのです。

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