聴覚は100%、歳と共に衰えていきます。例えば、あの「モスキートトーン」って、10代では当たり前に聞こえるのに、もう20代くらいから厳しくなってきます。まして40代、50代、60代なんていったら、当たり前の事として「無理」なのです。

 しかし、それは老眼と一緒で誰にでも起こることであって、避けることは出来ません。ある意味、すっぱりと諦めも付くことです。

 さてそのような「年配者の聴覚は? 良い音って本当に聞こえているの?」というと、私はそこまでは聞こえていないと思います。これは私自身にも言えることです。私が常に「私は年々、劣っていっています」と言い切っているのは、このような聴覚の面も含めてです。

 しかし、私の様に自信をもって「私は劣化しています」と言い切っている人は、少ないみたいです。多くの耳に関わる仕事をしている年配者(ベテランとか巨匠とか呼ばれたいみたいです)は、それをひた隠しにしている雰囲気です。多分、そんなことをばらしたら威厳が無くなってしまうからでしょう。

 さて本題です。「年配者の衰えた聴覚で、良い音は聞こえているのか?」という質問があったとしたら(まだ無いのですが)、私の答えてしては次のとおりです。

答え1:その通りです。聴覚が衰えた分だけ、確かに聞こえていません。ある意味、ポンコツです。
答え2:良い音の本質部分は、高い周波数帯ではないと考えられます。だから高い周波数帯域が聞こえなくなった年配者でも、良い音を判断することは問題ないのです。
答え3:確かに聴覚は衰えていますが、その衰え分を経験で補正して理解しています。
答え4:音以外の要因から、経験的に音を理解します。

答え1の補足:私が10代~20代前半の頃は、とても視力、聴力共に優れていました。20KHz以上の周波数まで聞こえていました。その時と比べて、今の私の聴覚は明らかに劣っています。15KHzも聞こえていないと思います。聞こえ方としては、耳の抜けが悪くなった様な感じです。何かが詰まったように感じるのです。
 オーケストラの残響の余韻とかも聞きにくくなっていますし(以前ならば、響きが見えた感じがしました)、ヴァイオリンの音も、昔はきつい音のヴァイオリンは弾くのが嫌だったくらい、高倍音まで音が聞こえました。

答え2の補足:私の弦楽器製作者、技術者としての経験や、または私の音響実験の結果から、良い音の本質部分は意外と低い部分に存在するとにらんでいます。

答え3の補足:”1″で白状しましたように、聴覚的には私は、私の若いときと比べてずいぶんポンコツになっています。しかし、それで諦めているわけではないのです。
 例えば若い時に聴いた音(レコードだとか、演奏会の録音データとか)を高音質で何度も聴き、さらに当時のイメージと、今のイメージを比較して、そこに補完フィルターをかけるのです。こうすることで、正しい音、本来の音をイメージするのです。常に「補完修正」作業の努力をしています。私が「オーディオ」と言っているのも、この作業の一環です。
 または時々測定器で周波数計測してグラフ表示をして、視覚情報として正しい音を把握します。そして次にその音と自分との感覚に補正をいれるのです。色々と手間をかけて、衰えに対抗しているのです。

答え4の補足:例えば、技術の経験値としては、私は私の若い頃よりも上です。例えば楽器の構造的なものから出る音を想像したり、周りの人の会話の流れから、音を察することもできます。このような「音以外の要素」も、聴覚の一つと言えると思います。
 またはかなり高度な技術ですが、10KHz以下の周波数の特徴から、衰えて耳に聞こえないような高周波数帯域を想像(連想)するテクニックもあります。

 

補足
 今回の内容は「良い音がわかるのか?」という問であって、「良い音楽がわかるのか?」ではありません。「良い音楽」だったら、例えば耳が聞こえなくても判りますから。

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