我々弦楽器に関わる者にとって、「音」はもっとも大切な要因です。すなわち、それは「聴覚」を意味します。
ところが、昨日にもお客様と「音色を言葉で表現するのは難しい」という話になったのですが、自分が感じた音を、客観的に把握して、そして客観的に表現できる人って、おそらくほとんどいないと思うのです。
例えば、人間は聴覚よりも視覚が発達しています。だからちょっとでも視力が劣ると、近視眼鏡や、歳をとると遠視眼鏡をかけるのです。
しかし、聴覚の場合にはもっといい加減です。アバウトです。
若い時に聞こえたモスキートーンが聞こえなくなって、困る人はほとんどいませんし、自分の耳の衰えを実感する人はほとんどいないのです。
すなわち、殆どの人は、生活に関わる音さえ聞こえていればさほど困らないし、衰えも実感しないのです。
だから、「演奏」に拘る人は多くても、「音響」に拘る人(音の違いに気づいている人)は少ないのだと思います。
もっと判りやすく例えると、「言葉」と「演奏」、「声質」と「音響」の関係性です。ほとんどの日常会話では、言葉さえ通じていれば、声の質は重要視されていません。単純にそれと同じように比較することは出来ないかもしれませんが、演奏においても、自分が演奏しているという行為に満足しているだけで、客観的な「音響」に拘っている人はとても少ないと、私は感じているのです。
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