パラリンピックとか、障害者スポーツの普及によって、我々の障害者への見方はずいぶん変わったと思います。

 昔なら、障害で片足の方がいたら、私は無意識のうちに、その方は劣っていると感じたことでしょう(身体能力的に)。場合によっては、可哀相という憐れみの感情を持ったかもしれません。

 しかし、今、スポーツ義足をつけた障害者は、「アスリート」です。あのロボットのような義足を装着して、競技場に颯爽と立っているアスリートの姿は、自分のとても適わない、憧れとか、尊敬とか、またはカッコいい対象になっているのです。

 このような社会的価値観の変化は、何十年にもわたって、地道な努力を積み上げている関係者が引き出した結果です。けっして偶然の変化ではありませんし、また、急激な変化でもないと思います。

 大きな変化は、地道な努力からしか生まれません。いや、関係者はたぶん、大きな変化を起こそうとして努力を続けたのではないと思います。小さな変化を起こそうと努力を続けたのだと思います。

 私も、その努力と粘り強さを見習わなければ。

 ただ、パラリンピックとかに挑戦できるような人たちは、とても恵まれた環境の人たちでもあるのでしょう。その裏で、毎日の生活に苦労している人もいるのだという事も考えなければなりません。偽善とか、憐れみの気持ちではなく、明日の自分の事としてです。

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