私は常に、「本当の意味での性能の高い弓こそが、何よりも第一であり、重要である」と説明しています。
ところが、残念なことに、現状はいつまで経っても変わっていません。
問題なのは、弓の話しだけではないのです。性能の低いくて弓竿の腰が弱く、さらに演奏理論も勘違いしている人が、試奏のもとに良いと確信して購入した楽器は、良くないという、理論的に説明できる仕組みがあるからです。
簡単に言ってしまうならば、弓が悪い人は、楽器も悪いのです。それも、高価なものであってもです。これを残念と言わずして、何と言うのでしょうか?
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