ストラディヴァリの研究というものをよく耳にします。ところが、ストラディヴァリという楽器を研究するのは危険です。
なぜなら、その研究者は、借りた数億円以上もする、そのストラディヴァリを否定できるでしょうか? 私なら、出来ません。
心理的に否定できないものを研究対象とすることは、それは科学的とは言えません。結果ありきの研究となってしまうからです。結果ありきの研究ほど心地よいものはありません。
さらに補足するのなら、研究者側はストラディヴァリという楽器が研究対象として完璧な存在として、借り受けています。しかし技術者の私が言い切りますが、ストラディヴァリと名が付いている楽器でも、ピンからキリまで様々なのです。当然調整によっても、音は全く違ってきます。本来ならば研究者側に、それらが判るわけがないのです。
研究とは、本来ならば「疑いの眼」を持つ行為です。しかし、高価な楽器を借りると言うことは、最初から研究を放棄しているのです。高価な商品には、必ず想像以上に大きな利害関係をはらんでいるのです。音楽界が純粋と思っていると、とても危険です。
誤解の無いよう補足しておきます。ストラディヴァリの楽器本体の研究をして、いけないということはありません。しかしその場合には、「ストラディヴァリ」という名前は一切伏せるべきと思います。
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