私が技術者として、冷静、公平、客観性をもってストラディヴァリウスという楽器を判断すると、次の様に言えます。
「製作の歴史的な意味では、とても重要で優れた楽器。しかし純粋な楽器としては、今となっては他の優れた製作者の楽器と比べて、特段優れているわけではない」、です。その証拠に、「目隠し弾き比べ会」でストラディヴァリ以外の楽器の方が高評価だったなんて事例は、たくさんあります。
もちろんその歴史的な価値(意味)に関しては、誰も文句はないことでしょう。ある意味、「絶対的権威」なのです。楽器の価格も最高クラスです。
いまだにストラディヴァリを所有したり、ストラディヴァリを貸与されることに憧れる演奏者が多いのは、この「権威」の部分です。
すなわち、ストラディヴァリで演奏できる演奏者は、誇らしいわけです。そしてさらに、そのストラディヴァリから出る音を、誰が批判できるでしょうか?
「権威」なのですから。
私は「芸術とは権威による保障」であると説明しています。逆の事も言えて、権威を手に入れるということは、それは芸術であるとも言えるのです。だからストラディヴァリがもてはやされるのです。
超金持ちが、たいして運転もしないのにスーパーカーを購入するのと同じです。おそらく運転することが目的では無く、所有することに満足感と優越感を感じているのでしょう。くだらないけれど、理解はできます。
それではグァルネリの音は程度が低いのですか? ガダニーニはもっと低いのですか? それらを弾いている演奏家の程度は低いのですか?
当然、そんなことはありません。
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