最近オーディオの音質の記事をよく書いています。昨日も、「パソコンモニタ内蔵スピーカーの音の悪さ」の事を書きましたし、「ヴィオラの音の事」、「車でのマイスタージンガーの演奏の印象」、「再生音と音楽の感じ方」の事も書いたことがあります。
そこでふと気づきました。
楽器って、チェロやヴィオラは当然の事として、例え高音域楽器のヴァイオリンでさえ、重要なのは低域の音なのです。良い楽器は、この「胴体の余韻、響き」の上に、倍音成分すなわち音色が乗ります。
ところが、多くの方が良いつもりで購入している高価な楽器って、その「胴体の余韻」が出てないのです。構造的に出にくいような楽器を、音色だけを好みに買ってしまっています。
だから、良い弓を購入したときに、音が飽和してしまうのです。
私はこの現象(現状)を、「本当の意味での性能の良い弓を知らない、弊害」と分析していました。もちろん、それは正しいと思います。しかしそれ以外に、「普段聴いている音の弊害」も有るのではないかと、ふと思ったのです。
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