私はこのブログ上でもよくオーディオ装置の事を書いています。それは単なる趣味の話だけではなく、弦楽器関連の音を考えるうえでの実験でもあるのです。

 例えば、再生装置の違いとか品質によって、具体的にはオーディオ装置であったり、メモリウォークマンであったり、YouTubeであったり等々の差によって、同じソースの音楽でも、全く違って聞こえるのです。

 「何を当たり前の事を」、と、思われるかもしれませんが、そこがとても重要なポイントです。

 多くの方は、「音楽」とか「演奏」とかに本質的なものが備わっていて、それを誰が、どのように聴いても普遍的なものと感じがちです。唯一、「各人の好み」とか嗜好が異なっているという価値判断です。

 しかし、オーディオという例をとってみても、再生機器によって全く「音楽」の印象が異なってくるという、その結果は明かです。多くの方は、そんな面倒くさくて、さらにお金のかかる「比較」はしないので、その印象の差の大きさにピンときていないだけなのです。

 これは弦楽器の音に関しても全く同じです。どのような練習をするかだけでなく、どのような楽器で弾くのか、またはどのような気持ちで音楽と接するのか、究極の例としては、どのような気持ちで生活して、生きていくのか・・・。同じ音楽でも違ってくるわけです。

 音楽に普遍性はありません。自分側の行動が作り出す、虚像なのです。良い意味での虚像なのです。

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