先日コーガンのDVDを貸してくださった方が、今度はオイストラフのDVDと、たくさんの巨匠ヴァイオリニスト達の演奏が映っている”THE ART OF VIOLIN”というタイトルの記録DVDの2枚も貸してくださりました。
まだ”THE ART OF VIOLIN”というDVDを流し観した程度ではありますが、真っ先に感じたことがあります。
それは、「演奏方法、スタイルが千差万別で全然違うなあ」という感想でした。もちろん、演奏は皆、素晴らしいです(DVDなので、音質的には本格的ではありませんが、想像ですが素晴らしいのでしょう)。
それらの巨匠達の否定的な事を言うと、ファンの方々からクレームが来そうなので、あまり言うべきではありません。また、私にそんな偉そうなことを言う資格もありません。
ただ・・・・・、なぜこんなに、それぞれの弾き方がバラバラなのか??
本来ならば、理にかなった演奏法であるならば、似ていなければならないはずなのです。
それはおそらく、巨匠達も理にかなっていないことをしているからなのです(これ以上はもう言いませんので、許して!)。
例えばまたスポーツに当てはめてみましょう。歴代の名スポーツ選手の記録映像を観ると、今の名スポーツ選手の動きとは全く違っていたりします。例えばスキージャンプでは、その昔には両脚をピッタリ揃えて、両手を頭の上に突き出して跳んでいたのです。走り高跳びでは、ベリーロールが主流でしたが、今は背面跳びが主流です。
このように、スポーツは進化しています。そして、昔の名選手をみて笑う現代の名選手はいません。なぜなら、時代によって理論は変化していることを、本人達が一番知っているからです。
再びヴァイオリニストの考察に戻ります。歴代の巨匠達も、私が思うには、「理にかなった弾き方」をしている人は少ないと感じます。しかし、天才達だから上手なのです。
なぜ、そこまで凄い天才達が、ここまでバラバラな弾き方なのかを考えてみました。
おそらく、現代と比べて「肩当て(または肩当てという概念)」の考え方が未熟だったからだと思います。だからこんなに、理にかなっていない弾き方をしているのだと思います。悪く言えば「時代遅れ」です。そう言った意味での「理にかなった演奏」に関して言えば、現代の演奏家達の方が、はるかに上だと思います。
だからそういう巨匠達の弾き方に憧れて真似をしている人が多いのですが(能書きに走っているアマチュアに多いです)、時代とマッチしていないのです。楽器側は当時より進化していますから。
これ以上、巨匠達の否定的な事を書くのは止めにします。
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