「感情を込めた演奏」とか「気持ちのこもった演奏」とかって、素敵です。

 ところが、これまでにも何度も言っていることですが、それは聴く側の論理なのです。演奏する側が、感情に頼ってはいけないのです。それでは単なる自己陶酔型のナルシストにしかならないからです。

 先日、ラグビー日本代表が強豪アイルランドに勝った後でのインタビューで、多くの選手が「この日のためにきっちり準備をしてきたので、それを信じて行った」というようなコメントをしていました。

 すなわち、「行うべき事を、きちんと実行した」という事なのです。

 同じ事は、将棋ソフト”ポナンザ”にも言えます。将棋名人をやぶったこれまでに無かった美しい手は、どうやって生まれたのか? ポナンザが何を行ったのか? それは「準備しておいた、行うべき事を、確実に実行した」という事です。その手を見た側が、「美しい手」とか「これまでに無かった凄い手」と捉えただけなのです。

 この事は演奏にも言えます。すなわち、演奏とは感情で行うべき事では無く、「準備してきた事を、確実に実行する行為」なのです。そこに感情の有無は直接的には関係ありません。理にかなった、行為(すなわち演奏)さえ実行できれば、それを聴いた聴衆側は、感動の涙を流すのです。

 演奏する側が、自分の演奏に酔いしれているようではダメなのです。

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