私はずっと、「真の意味での性能の高い弓での演奏が必須」と説明していますが、なかなか理解(信用)してもらえません。
多くの方は、「気持ちを込めて、感情移入して演奏」することが良い音に繋がると思い込んでいるのです。しかし、性能の低い(=弓竿の剛性がペコペコ)の弓で、そのような演奏を行ってしまうと、日本人特有の「こぶしの効いた」演歌調の音になってしまうのです。
具体的に言えば、ワンボウごとにアクセントが付いたり、弓中で加速して盛り上がったり、または弓先で音が抜けるのです。すなわち、大きなフレーズでの連続性が生まれないのです。
なぜならば、弓の性能が低いと、連続した圧力が原理的にかけられないので(どんな名人が演奏してもです)、弓の返しが不連続になってしまうのです。
もちろん外国の演奏者にも性能の低い弓を使っている人はたくさんいます。しかし日本人は、もともと演歌調の音楽が身に染みているので、その欠点に気づかないどころか、良いとして逆に求めてしまっているのです。
例えば私がアップロードしたオイストラフ演奏のベートーヴェン春ソナタを聴いてみてください。大きな連続性を感じますから。
これは演奏者の技術力だけで無く、「理にかなった道具」の影響も大きいのです。
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