現代スポーツ、特にトップアスリートにとって、「根性論」は時代遅れです。現代のスポーツで重要なのは、科学的な「理」なのです。理にかなった物理的な運動であり、または科学的な身体の管理なのです。
だからスポーツ業界には様々な分野のプロフェッショナル専門家が存在し、トップアスリートは彼等(彼女ら)と契約して、様々な助言を吸収しているのです。
そんなスポー業界では、「根性!、根性!」とだけ言っているようなトレーナーは相手にされません。時代遅れなのです。
一方、音楽や演奏の業界では、相変わらず「芸術」とかの抽象的な表現が幅をきかせています。しかし「芸術」の定義とはなんでしょう?
私は「芸術とは、権威による保障」と説明しています。それ以外の的確な説明ができるでしょうか?
この業界では、科学的アプローチを採ろうとすると、反感を買います。拒絶されるのです。なぜならば、教育自体にそのような分野が存在しないからです。音楽大学と体育大学の研究室の研究分野を比較したら、一目瞭然です。体育大学には様々な分野の研究室が存在し、様々な分野の研究者も存在します。それはすなわち、様々な分野の教育がなされているとも言えるのです。
要するに、スポーツとは単なる「筋肉バカ」の集団ではないのです。
私はなにも音楽業界を批判するためにこのような事を書いているわけではありません。なぜならば、私もその業界のひとりですし、私が相手にしている方は、その業界の方々です。
しかし、私が30年以上も全く同じ事を主張し続けていても、この業界の体質に変化を感じません。それどころか、教育の退化さえも感じています。演奏のパフォーマンス化です。
私が言いたいのは、良い音への危機感です。
オイストラフの演奏を聴いて、「演奏の物理的な理」を感じる(理解する)事ができるでしょうか?
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