先日、私の知人のとても優秀な技術者が工房に遊びに来てくれました。名器の修復を手がけるような、私も尊敬している技術者です。
色々な話をしている中で、「弓の性能の理論」の話から、「良い弓や楽器とは何か」みたいな、話になりました。この手の話になると、私はこの業界では異端の考え方なので、他の技術者とも話がかみ合わないのです。
「好みや価値観が違うので、満足できていればそれで良いのではないか?」
確かにそれは、その通りです。否定はしません。しかし、全否定はしませんが、全てを受け入れるわけにはいかないです。
例えば音楽の話だと難しい要素がたくさん入ってしまうので、スポーツの話で説明してみましょう。
あるゴルファー(プロでもアマチュアでも)が、自分の好みだからといって、フニャフニャな柳の枝をクラブとして使っていたとします。
私なら、「その道具は理にかなっていませんよ!正しい道具を使ったら、あなたは確実に飛距離を伸ばせます」と言い切ります。すなわち、相手の好みの問題だけではないのです。科学的な「理」が重要なのです。
次に、普通の性能の良いクラブを使っているゴルファーがいたとします。ただ、その人は、自分の好みだからと言って、そのゴルフクラブを上下反対に持ってスイングしていたとします。
私なら、「その道具の使い方は理にかなっていませんよ!正しく道具を使ったら、あなたは確実に飛距離を伸ばせます」と言い切ります。相手の好みの問題だけではないのです。科学的な「理」が重要なのです。
こんな極端な話はあり得ないことでしょう。しかし、考え方として間違っているでしょうか? 皆さんの中には、「そんなバカな事を好みだと言う人など、いないよ」と思う人も多いことでしょう。しかし、いるのです。それどころか、多いのです。
大切なのは、普段から、「技術的」だけでなく、お客様に説明して、納得してもらえ、そして何より重要なのが実際に効果が現れる、科学的な「理」を探求する努力だと思います。これは現代スポーツ科学と全く同じ方向性です。
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