昔録音したカセットテープなどのアナログ音源をあらためて再生すると、とても魅力的な音がします。そんな音を聴きながら、無意識に「この音の魅力の本質とは何か?」とかを考えてしまいます。いつでも、音楽を聴かずに、音を聴いてしまうのです。職業病かもしれません。
さて、昔録音したアナログ音の魅力には、次の要素があると思います。
1. 自分の青春期の想い出
音楽を再生すると、自分の多感期の想い出が引き出されるというのは、誰にでも経験があることです。音楽の魅力の本質のかなりのウェイトを占めているのが、実は音楽そのものにあるのでは無く、音楽を受け止める側、すなわち自分自身の感覚や感情からつくり出される二次的なものです。
2. 音響的な「質の悪さ」が理解しやすい
旧アナログ音源の多くは、音響的には決して褒められた性能はしていません。音響的(音楽的ではありません)には、音が悪いのです。しかし、我々はその中に大きな魅力を感じることも確かです。それは何か? なぜか?
私の仮説ですが、「帯域の狭さ」、「ノイズの多さ」、「ダイナミックレンジの低さ」等々、旧アナログ音源の音は、最新・最高のレコーディング音よりも劣っています。
しかし、劣っているものって、理解しやすいのです。
人は、自分の脳が理解しているものは心地よいです。一方、自分の脳が理解していないもの、理解できないものには大きな不安、または疑いをもつものです。この例えが正しいのかどうか判りませんが、車マニアの話の中で、「昔の車のエンジンって、どの部品がどのような動きをしているか判るからいいんだよねえ」みたいな事をよく聞きます。すなわち、自分自身の理解力が、魅力に影響しているのです。音も同じ仕組みなのではないかと、私は考えています。
ちなみに私自身が、最新音源のHi-Fi音を聴いたときの感想は、「澄んでいる」、「透き通っている」、「(良い意味で)特徴がない」、「(良い意味で)味気ない」、等です。ノイズとか、帯域の狭さとか、周波数帯域のバラツキ(ドンシャリ音とか)の把握するポイントがなさ過ぎるのです。いや、無いのではなく、私の経験から来る、または能力から来る音質の把握ポイントを越えているのかもしれません。
この推論を延長して、演奏に当てはめてみると、「下手な演奏には魅力を感じる。味がある。」という事になります。ある意味あたっていると思います。「下手」とか「頑張っている」とかが見えることによって、「演奏しているリアル感」や「頑張れ~」という応援感が生まれたり、または親近感も生まれます。特に若い子達の演奏には感動さえ覚えるというのも、このような仕組みが働いているからなのではないでしょうか?
もちろんプロの素晴らしい演奏も別の意味で(いや、本当の意味で)素晴らしいのですが、アマチュア演奏も素晴らしいのです。存在価値はちゃんとあるのです。