昨日書いた「良い音の本質とは」の続きになりますが、今度は「弦楽器の魅力」について考えてみましょう。それを冷静に分析することで、自分自身の行動の方向性ができるからです。
ヴァイオリン(族)は300年以上にもわたって、大勢の人に愛され続けている楽器です。一方でヴァイオリンほど「金食い虫」の楽器はないというくらい、修理やメンテナンスにお金のかかる楽器でもあります。楽器自体もとても高価です。
さらにヴァイオリンは初心者が取っ付き難く、ノコギリの音のようなギコギコ音から始まって、まともな音が出せるようになるまでに数年~10年もかかったりする楽器です。それどころか「一生まともな音が出せるようにならない楽器」と言っても、決して大げさな話ではありません。
そんなヴァイオリンになぜ多くの愛好者がいるのか・・?
まったく逆の事を考えてみましょう。電子楽器が発達して、ボタン一つで「完璧に」ヴァイオリンの音が出る楽器ができたとします。そうしたらその楽器に魅力を感じるでしょうか?答えは「NO」のはずです。なぜならば、演奏者は「音」そのものを求めているのではなく、「演奏」という行為を求めているからです。
人間の本性として、困難を克服したときにとても大きな満足感を得ることができます。ある意味、人はそれ(困難)を求めているのかもしれません。すなわち、「手こずるヴァイオリン」に、「思う通りに言うことをきなかいヴァイオリン」に魅力を感じているのです。
私が中学生だった頃、BCLラジオ(短波放送)で世界中の放送局の番組を、ピーピーギャーギャーという雑音の中から聴き出すという行為が流行ったことがあります。ところが数年後、シンセサイザーチューナーが発売されて、ワンタッチで聴くことができるようになった途端、そのファン達は去ってしまいました。ようするに、放送局の内容よりも「困難を克服する行為」こそが魅力的だったわけです。
山の上の景色を堪能したければ、山に登るしかありません。ヘリコプターで山頂に降り立っても、どんなに綺麗な写真を見ても、または山頂に設置されているライブカメラを見ても、何の魅力も感じないはずです。山頂からの眺めは、「山登り」だけにしかわからないはずです。だから毎年何人もの遭難者を出しながらも(それはそれで困ったものですが)、山に登る人が後を絶たないのでしょう。
さて話をヴァイオリンにもどしますが、現在ヴァイオリンを続ける上でなんらかの「壁(技術的、経済的、時間的、家族の問題、等々)」にぶつかっている皆様、それを否定的にとらえてはいけません。それこそが求めているものなのかもしれないのですから。
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