これは単なる私の独り言です。他の方の考えや宗教観を否定するものではありませんので、どうかご理解ください。
私の父は、私が1歳のときに亡くなりました。それで私は、もの心つく頃から、「死」というものを意識していましたし、常に母から「おまえの行動は、いつも天国のおとうちゃんが見ている」と言われながら生活していました。
1.雲の上
そんなわけで、幼稚園とかの小さかった頃には、空に浮かんでいる雲を見ては、「天国って、あの上なのかな?」と考えていました。父は、雲の上に乗っていて、そこで寝そべって頬杖をつきながら、私たち家族を覗き込んでいると思っていたのです。実際、あの頃には父の声がよく聞こえた(ような気がした)ものです。
2. もっとずっと上
ところが、小学生低学年になったころには、八丈島から東京へ行くときに、飛行機に乗るようになってきました。そうすると、雲の上側を見ることが出来るようになったのです(最初は父を探したものです)。雲の上って、想像していたよりもボコボコしていて、どうも天国っぽくないと言うのに気づいたのです。
そこで父のいる天国は、もっと、もっとずっと上側(星とか)だと考えるようになりました。
3. 原子になって宇宙に帰る
小学校高学年とか中学生くらいから、私は科学的な事に興味が沸いてきて、特に「原子」というものを教わってからは、「人が死んだら、原子になって地球へ帰って行き、最終的には宇宙に帰って行く(特に、超新星爆発という事を習ってから)」と考えるようになりました。この考えは、私が40歳くらいになるまでの、私の結論でした。すなわち「無になる」という考え方でした。いや、「宇宙のエネルギーに帰る」という考え方でした。
4. 人の心に帰る
私は音の仕事に就き、毎日、「良い音とは何か?」とか、「自分の進むべき方向はどちらなのか」とかを真剣に考えています。そうしながらさまざまな試行錯誤をしたり、悩んだり、お客様とのお付き合いの中から、「音の本質とは、音そのものにあるのではなくて、演奏する側の行動がつくり出しているものである」という結論にたどり着きました。
そうすると、たんなる物質ではない「人」というものの本質も、同じだという考え方にたどり着いたのです。
そうすると、「私の父はどこにいるのか?」 簡単でした「私の心の中に引っ越していたのです」
これが今のところの私の考え方です。
「死んだらどこへ行くのか?」 それは「残された人の心に移っていくのです」、人によってはたくさんの人の心に移っていく場合もありますし、人によっては数人の人にだけ移っていくこともあります。
疑問点1
仮に、上の仮説が正しいのならば、数え切れないほど多くの人が亡くなっている現実の中、残された人たち(一例として子孫とか)の心は、先祖達で満杯になっているはずです。しかし、現実、私の心の中ではそうなっていません。
そこでこう考えると、どうでしょう? 「移った人は、時間をかけて徐々に薄くなっていく」という考え方です。これは実際の意識とも合致します。
疑問点2
家族のいる人とか、有名人はたくさんの人達に移ることができます。しかし、もしも誰にも知られず、一人で亡くなった方がいたとしたら、その方の行くところはあるのか?
心配いりません!まずは、誰とも関わらずに生きること自体ができませんし、誰かの意識の中に移っていくことができます。仮に、それが無かったとしても、100%言い切れるのは、すべての人は「母」から苦労の末生まれていると言う事実です。すなわち、母の記憶の中に既に行き場は確保できているのです(母が先に亡くなっていたとしても「そう」と言い切るためには、この点はもうすこし論理的な考察が必要です)。
そんなわけで、今現在の私の答えです。「全ての人には、行く場所、すなわち天国は保障されているのです。」だから、死ぬことは怖いことではないのです。なぜなら、引っ越しするだけだからです。
疑問点3
上で「人に移る」と考えました。有名人は、数万人の人の心に移ることでしょう。人によっては、数名だけの人の心に移る方もいるかもしれません。そこで次の疑問点です。「移った心の総和は全ての人で同じなのか?」
これは現在考察中です。
なぜこんなことを書いたのかというと、良い音の本質って、「どう生きるのか?」という話と同じだからです。別の言い方をするならば、「どう死んでいくのか?」です。それで「死ぬ事って、マイナスではありませんよ」と言いたかったのです。
最後に
この考えは、明日には全く変わるかもしれません。なぜなら、私は生きているからです。
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