「演奏」というものを語る上で、個々の「演奏家」という「人」について語り出したら、論点がずれてしまいます。そして切りがないのです。
極端に言ってしまえば、個々の好き嫌いだけの話しになってしまいます。感情論になってしまうのです。
なぜならば、「人」には上下がないからです。だから、自分が好きな人(ファン)は、他の誰よりも良く感じるものです。そして「それ以外の人」を拒絶しがちなものです。
音楽の楽しみ方としては、それが正当の方法だとは思いますが、「演奏の追求」または「演奏の研究」という話になると、それではいけないのです。
演奏者を「人」として見てはいけないのです。あくまでも「演奏モデル」として観察することが重要です。これは自分自身にも当てはめることが出来ます。自分を人として見ないで、自分を「演奏ロボット」として客観的に、俯瞰から見つめることが重要です。
この「演奏ロボット」とは、私が弓の性能の説明をするときに、よく例えに出す方法です。その中で、「プログラミング」、「駆動モーター」、「伝達経路」などの具体的な内容をあげて説明しますが、これが実際の「演奏」を考察する上でも大切な事なのです。
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