少し前、私の工房で貴重な「小実験」が行えました。

 基本的に私は、私の工房にてお客様に楽器を弾いてもらうことはありません。まして、プロの演奏者の方に弾いてもらって、それで実験をするというようなことはありません。

 ところが先日、たまたまのきっかけで、同じ楽器を弾いて、私と、上手なアマチュアの方と、プロの演奏家の方と3人で、簡単な弾き比べをしてお互いに観察し合おうという話になったのです。

 こういう機会って、意外とありそうで無いものです。

 私自身が弾く姿は私には判らないのですが、私が一番のど下手くそというのは、弾く前から判っていますし、誰が上手なのかなんて判りきったことに興味はありません。

 興味があるのは、「上手な演奏家と、アマチュアと、何が違うのか?」、そして「実際に音の差はどの程度なのか?」という点でした。

 私が感じたのは、想像通りという結果でした。上手な演奏家の運動は、理にかなっていたのです。

 私はその演奏が、いや「運動」がこんなふうに見えたのです。

 よく、走り高跳びとかのスポーツを解説している番組があります。その時、スローモーションの映像が流れます。成功したときって、我々素人がみても「理にかなった」美しい運動をしています。
 例えば、フィギュアスケートでも、3回転ジャンプとかを失敗するときって、「あっ、軸が傾いた」とか、「流れた」とか、我々素人にも少しはわかります。

 すなわち、成功のためには「運動の理」こそが、重要なのです。

 もう一度、走り高跳びのスローモーションに戻ります。スタートして、助走でスピードを加速させて、バーの近くに行くに従ってグッと回り込んで、それと同時に沈む込み、前に進むスピードを縦方向の地面方向へ変換し、その地面から反作用を利用して、飛び上がります。

 すなわち、運動が連続していて美しいのです。

 今回の演奏家のボウイングはまさに「連続」していたのです。ブレがなく、連続的に弦に大きな圧力をかけ続けられるのです。まさに、走り高跳びなどの「理にかなった運動」を見ているかのようでした。

 一方、私やもう一人のアマチュアの方(アマチュアの中では上手な方だと思います)の運動は、ギクシャクしているのです。走り高跳びで言えば、助走と跳躍と、地面との関連性が無い感じです。

 今回のこの「小実験」で、あらためて演奏とは物理であり、科学であり、スポーツと共通であると再確認しました。

補足:「運動」をスローモーションで観察することはとても重要です。また、そのような特殊カメラで撮影しなくても、日常の「眼」で見るときに、現象をスローモーションのように見る癖を付けることが重要です。

後日追記: 昨日たまたまテレビを見ていたら、筑波大学大学院の、走り高跳びの日本記録保持者の戸邉直人氏のインタビュー番組を放送していました。彼は自分自身の運動を研究して博士号を修めたそうです。その内容は、まさに私が上で主張していたそのものです。私は別に彼の事を書いたわけではなかったのですが、実に「ドンピシャリ」の内容で私の方が驚いたくらいでした。

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