先日いらした高校生のお客様は、演奏がとても上手な娘でした。特に音大を目指しているとかではないらしいのですが、頭が良くて、私の話を理解できて、話をしていて気持ちが良いのです。
ほとんどのアマチュアの大人のお客様も高学歴で頭の良い方ばかりです。しかし、大人の場合にはプライドと私への疑念が邪魔をして、理解力が低下するのです。
その点、この娘に限らず、子供の場合には純粋な素直な気持ちと頭の回転の速さと、運動神経の良さが結付いて、私が「こうしてごらん?」というと、それを直ぐに実行できるのです。そしてその音の変化を素直に「わあっ、こんなに違う」と素直に喜んでくれるのです。
大人との会話では、こういう清々しさはなかなか生まれません。
話を戻しますが、その上手な高校生の娘が、よく見かけるパターンの、肩で楽器を構える持ち方(身体の正面に対して、楽器の向きが80度くらい左に向く)をしていたのです。だから私が「それは間違った持ち方」と指摘したところ、先生の強い(考えに自信を持った)指導の一つだとか。
完全に「理」にかなっていないのです。いや、性能の低い弓で演奏する上では、「理」にかなっているとも言えるのですが・・・。
もっと、スポーツ界を見習いましょう。
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