演奏のコンクールは毎年世界の様々な場所で開催されています。演奏だけでなく、楽器製作コンクールなんてもあります。
そして、熱狂的に受け入れられています。
しかし、そんなものに意味があるというのでしょうか? 第一、コンクール自体が商業的な意味、すなわちドロドロした利害関係まみれの不純なものであるというのは、皆さんも想像できるはずです。大きな規模のイベントほど、お金が掛かるのです。
そしてもっと重要なのは、「演奏に順位がありますか?」という点です。
それではなぜ、こんなにコンクールというものが熱狂的に受け入れられているのかというと、「判りやすい」からです。そして、順位が付いている物に疑問ももたずに従う行為は、楽なのです。ある意味、洗脳行為です。
さらに、「そのような順位を理解することが」を知識だと思っている人も多いのです。
例えば、歌手とかアイドルファンとかって、そういうのとは違うじゃないですか。例えば自分が応援している演歌歌手が、賞を取っていますか? 自分が応援しているアイドルが賞をとっていますか? 賞をとったからファンになったでしょうか? それどころが、無名の時からその人達の良さを見つけ出して、応援しているはずです。
しかし、クラシック音楽界って、なんか間違っていると思うのです。
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