これまでに何度も書いている事ではありますが、真の意味での「性能の良い弓」で弾くと、良い楽器の本当の意味が判ります。
私は弓の試奏にいらした方に、最初に「弓の性能の理論」を丁寧に説明します。そして頭に「理論」を理解できて初めて、弓の試奏に入るのですが、多くの方は自分が行えるようになった「演奏の表現力」の広さに驚くのです。
そして自分の、これまでにほとんど不満もなく使っていた、いやそれどころか満足しながら使っていた楽器の「音の飽和」にも気づかされます。
それは悪いことではなくて、良い事なのです。なぜならば、真の意味での良い弓で弾くことで、一瞬の間にこれまで以上の高みへ達したという証拠でもあるからです。
そうしたときに、参考として在庫がある場合には、カントゥーシャ作の楽器等を弾いてもらうこともあります。そうすると、殆どの方は「うわっ」っと驚かれます。なぜ驚くかというと、楽器の音が良いという理由だけでなくて、自分の行ったことが、ちゃんと表現できる事実に驚くのです。
良い楽器楽器とは、自分の操作に対して比例するように反応が起きる楽器なのです。1の操作をしたときには1の反応が、5の操作をしたときには5の反応が、そして9の操作をしたときには9の反応が出るのが良い楽器です。
ところが弓の性能が悪いと、1~3の範囲での操作しか物理的な限界(演奏技術の話とは違います)から出来なかったために、楽器の性能を1~3までの限定の範囲でしか評価していなかったのです。多くの楽器は、それ以上の範囲で飽和してしまう楽器です。
何度でも言います。良い弓無しに、良い楽器を手に入れる(評価する)事はできません。
そして何度でも言います。楽器とは、演奏とは科学です。芸術ではありません(芸術とは受ける側の論理です)。
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