先ほど、ヴィオラの試奏の事を書きましたが、その時にお客様が「佐々木さんのところで購入したこの弓があるから、こういう表現ができるようになりました」とおっしゃいました。

 具体的には、ワンボウの中で、「さらに、もう一表現」できる余裕です。これは演奏技術よりも、弓の性能の理論の物理的な要因の方がはるかに大きいのです。

 だから楽器の善し悪しが判るのです。自然と音として差が出てしまうのです。

 逆の事も言えて、ほとんどのプロの演奏者も含め、そのような「弓の理論」を知りません。だから変な弓をありがたがって使い、楽器も、演奏自体も間違った方向へ進んでしまっているのです。まるでドミノ倒しのようです。

 科学的「理」こそが一番重要であり、なぜそれが出来ていないのかというと、日本の音楽(演奏)教育が偏った教育しか行っていないことが原因なのです。

 もっと体育大学のようなアカデミックさが必要です。

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