私はこれまでに「良い音の本質とは、”遠足のおにぎり”である」と説明してきました。
最近では「無限階段におけるゴールとは?」という記事を書いたことがあります。
この二つの表現は、視点こそ違いますが、ほぼ同じ事と思っても良いと思います。
世の中に見える物、感じる物は、自分が作り出す虚像なのです。すなわち「良い音」が絶対的に存在するのではなくて、自分の行動が良い音を造り出しているのです。
だから低質なレベルでも十分満足できる自分が存在する一方、それでは満足できない自分も存在するのです。そしてその複数の相を見分ける(感じ取れる)唯一の方法が、自分自身の移動なのです。
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