以前にも何度か書いたことがあるのですが、演奏の表現でワンボウごとに覆い被さるような(弓が加速する)、コブシをきかせた演奏を、表現力だと思っている人がとても多いのです。

 特に、演歌調が生活に染みこんでいる日本人は、特にそういう演奏が多いと感じます。

 大きなフレーズの流れが、一小節ごとにぶつ切れにされていたり、または例えば四分音符の頭だけが意識され、その音符の長さまで音が出ていないのです。

 なぜなら「理」がおろそかにされているからです。

 私がいくら「真の意味での良い弓」とか「理にかなったボウイング」と主張しても、ほとんど人からは無視されています。「演奏のド素人の職人分際が・・」とでも思われているのでしょうね。

 

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