これまで何度か、「とても上手なのにあと一つ何かが物足りない」とか、「コンクールでいいところまでいくのに、いつもあと一歩」とかの愚痴というか、不満というかを相談をされたことがあります。大体は本人からではなく、親とか関係者からです。
「何」が足りないのか?もちろん、個々によって内容は異なるので、この場で言い切ることはできません。しかし、多くの場合には演奏テクニック的には素晴らしいのに、「聴衆を圧倒するような表現力」が足りないのです。
その答えを最初に言うのならば(私のブログを読んでいる方は、「またその話か」と思われることでしょう)、「弓の性能不足から来る、間違った方向への努力」、または別の言い方をするのならば「理にかなっていない努力」からくるものなのです。これは抽象論、感覚論ではありません、きちんと説明できることです。もう少し具体的に言うのならば、「物理と音楽(演奏)との関連の理論」が分かっていないからなのです。
さて、話がもどって「何か、表現力が足りない」と思われる演奏者でよくやってしまう間違った試行錯誤の中に、次の3つがあります。
1. 表現力を増そうとするあまり、演奏スタイルのパフォーマンスに走ってしまうことです。例えば、楽器をバカみたいに上側に持ち上げてみたり、または楽器を左肩の上に乗せて、身体(腰)左側に捻ってクネクネと演奏したり(特に女性に多いです)。こんなバカをやっても、物理的に非合理的なだけです。完全に方向性を間違っているのです。
2. 演奏の表現力が今ひとつなのは、高価な銘器を使っていないからだと悩んでいる方も多いみたいです。「銘器」はどうでもよいとして、「性能の良い楽器」という意味では一理あるのですが、しかし楽器以外にももっと重要な要因(物理的に)があることを知らなすぎるのです。だから、自分の感覚を信じて良いと思って購入した高価な楽器がとんでもない酷い楽器だったということも多く見受けられるのです。そして悪循環に陥ってしまうわけです。
3. 悪いのは全て自分の演奏技術の低さからくるものだと、思い込んで半ば諦めている人も多いです。しかし私が冷静に、客観的に観察した範囲では、「演奏技術の低さ」よりも別の要因からくるもののほうがはるかに大きいと感じます。その証拠に、同じ人でも(プロの演奏者から初心者まで)、理にかなったことを行うと全く別の次元の音が出ますから(皆さんは、ご自分が思っているよりも、もっと上手な人だと思います)。
私が言いたいのは、全ての結果には何らかの理由が存在するということです。もっと頭を使いましょう。
ちゃんと真理を教えてくれる楽器店(工房)で商品を買い、そこで一貫した調整、勉強を行うことです。いい気になって知ったかぶりしたり、または要領よくあちこちの楽器店を廻っている人は、結局はだれからも相手にされなくなってしまいます。
関連記事:
- 演奏の表現力は「縦(圧力)」の意識から生まれるのです
- 肩当てが外れやすい方は、その原因は肩当てではなくて、自分の構え方の方(?)
- 演奏とはスポーツと同じなのです
- 弓の性能が低い人は、楽器の表面を撫でるように軽やかに弾くのが良い演奏だと思い込んでいる
- ヴィオラの楽器としての表現力が全く違いました