時々お客様と「良い音の本質とは」という会話をします。今日も調整をする上で、その話をしました。
以前に私はこのブログに「良い音の本質とは『遠足のおにぎり』である」と書きました。おそらく皆さんにも「遠足のおにぎりの味」が懐かしさと共に心に残っているのではないでしょうか?その「遠足のおにぎりに味」の本質は、おにぎり自体だけにあるのではなく、それよりも「自分側の行動」によって作られるもの、という意味なのです。
例えば
・遠足の運動による空腹感。
・友達との和気藹々した楽しさ。
・青春時期の多感な気持ち。
・山の上(海でもよいのですが)の眺めや空気のおいしさ。
・母親の味の思いで。
・嫌な思い出も(私の妻は砂丘に遠足に行ったときに、いざお弁当を食べようとしたら突風がきて砂まみれになってしまい食べられなくなったそうです。それも今となっては「味」のうちです)。
全ての人が、「遠足のおにぎり」に何らかの「味」を感じているはずなのです。もちろん「遠足」というのは一例であり、それが「運動会のお弁当」でもよいし、何でも良いのです。すなわち「味」とは食品そのものが持つ物質的なものだけでなく、「自分の行動から生み出される虚像」でもあるのです。
蛇足かもしれませんが、以前テレビで「指をパチンとならすだけで味を変えることができる屋台(たこ焼きやだったかな?)」のことが紹介されていました。これも上記の考え方で説明がつきます。すなわち、お客側が「味の変化」を期待しているのです。だから実際に味が変わるのです。
同じ事は「良い音」にも言えます。「良い音」という絶対的なものが存在し、全ての人々がそれを追い求めているというわけではありません。「良い音」には答えがないとも言えます。
例えばオーディオマニアは高級オーディオ装置に1,000万円以上もかけて音質を追求しています。高級AC電源ケーブルによって大きく音質が変わると言い切る人もいれば、オーディオルームの中に備長炭を置くだけで音質が変わると書いていたオーディオ雑誌の記事も読んだことがあります。正直言って、「オカルトチック」というか、「気のせいなのでは?」と思わせる内容も多いのです。
ところが、私がこの仕事を始めて「良い音の本質とは何か?」を常に考えるようになって、上記のオーディオマニアの「一見オカルトチック」な件も理解できるようになったのです。すなわち、オーディオマニアが自分のオーディオ装置を買い揃えたり、試行錯誤したりするその行動が「音質」を生み出して(作り上げて)いるのです。従って、他人がちょっと遊びに来たくらいでは、その音を聴きとる事はできませんし、さらにオーディオに全く興味がない人にとっては「ラジカセよりは良いと思うけれど・・」程度にしか思えないことでしょう。
一方で、青春時代に程度の低いラジカセから聞いた音楽の素晴らしさが、今でも耳に残っている人も多いことでしょう。
弦楽器演奏においても同じ事が言えます。例えば、ある演奏家のコンサートを聴きにいったとします。その後、その演奏家と親しくなり、話をしたり一緒に飲みに行ったりした後に、もう一度その演奏家のコンサートを聴いたとします。おそらく、後者の方がより素晴らしい演奏に感じることでしょう。という事は、自分自身の行為が相手側の演奏を作り上げているというわけです。
このように、「良い音の本質」は自分自身の行動が作りだしているものなのです。従って、楽器の調整に手間やお金をかけたり、色々な人と会話をしたり、議論(喧嘩も)をしたり、練習をしたり、研究をしたり、優しい気持ちでいたり、健康な体力を作ったり、そのような自分自身の行動が「良い音」を生み出します。またはそれまで自分が考えていた「良い音への既成概念」を変えてくれるのです。自分自身の既成概念を変えてくれると言っても良いと思います。