私がこれまでに何度も主張していますように、「せっかく上手なのに、勘違いによる下手な演奏」というものが存在します。それはテレビの演奏家にて演奏しているような、上手なプロの演奏者(ソリストも含め)にも見受けられるのです。
私のこの発言を矛盾していると感じる方の方が多いと思います。とても上手だから、プロの演奏者であって、またはさらに上手だからソリストのはずなのですから。
もちろん、それはその通りです。私はその演奏者の一番の基本となる、「能力」または「才能」については、尊敬はしても否定は一切していません。
それでは問題点は何かというと、「勘違い(理論的な根拠がわかっていない)」からくる、「下手さ」なのです。ここでいう「下手さ」とは、その演奏者の真の能力と比べての「下手さ」であって、他の演奏者と比べてではありませんし、まして私と比べてなんて全く思ってもいませんので、どうか誤解の無いようお願いします。
さて、そのような「勘違いをしている、上手な演奏者の、下手な演奏」にはいくつかの特徴があります。演奏をスローモーションで分析するとわかりやすいですし、さらにその弓の性能を分析したら、さらに悪い意味での筋が通るはずです。
私はその辺りの研究も行っています。ところが難しい点は、「(上手な人の)悪い見本」って、なかなか協力を得るのが難しい点です。そりゃそうです。誰だって、真剣に行っている自分の行為を「悪い見本」として取り扱使われるなんて、夢にも思っていないからです。そういう人に限って、人一倍プライドも高い事が多いですし。
逆の事も言えて、ヴァイオリン関連の研究の多くが、「ストラディヴァリの研究」とか、良い例ばかりを研究対象としているのです。この研究って、ある意味、とても簡単なのです。何らかの結果を、肯定的な結論で締めれば、誰からも文句は出ませんから。
一番難しいのは、否定的な事をあえて研究することなのです。とても勇気が必要となる行為です。
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