私は一貫して、理にかなった演奏への第一歩が「真の意味での性能の良い弓」と主張し続けています。
もちろん、良い弓だけでは良い演奏は出来ません。しかし、理にかなった良い弓無しには、良い音は出せません。
ちなみに、性能の低い弓でも、上手な演奏なら出来ます。これは演奏者の演奏技能によります。しかし、それが良い音に単純に繋がるわけではないのです。この辺りを勘違いしている人が、または知らない人がとても多いと実感しています。
何度でも言います。私は演奏者の才能を否定したことはありません。「知らない」という事を、または「知ろうとする努力しないことを」、「もったいないなあ・・」と思うのです。折角の才能がもったいないのです。
さて、それでは「良い音」とは何か?
それは客観的に判別できることです。簡単に言うと、聴衆にその違いが判ることです(演奏技術の話ではありません)。
例えば、ある一生懸命努力して練習してきた演奏者(アマチュア演奏者も含め)が、「真の意味での良い弓に変えた途端」、周りで聴いている人が、「全然違う!」と驚くような「差」なのです。
これは何も魔法の道具の事を言っているのではありません。科学的な「理」なのです。何も、小難しい物理学とかの話ではありません。
例えば室内干しの洗濯物を速く乾燥させるためには、除湿機をかけたり、扇風機で風を当てたりすると速く乾き、臭いも付きにくくなります。そんな感じの、当たり前の原理なのです。
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